このページを編集する
ご予約・お問い合わせはこちら 03-6261-5998
クヤダンスカレッジのブログ
不完全燃焼からの今
2021年11月24日
こんにちは

「不完全燃焼」という言葉を

数日前のブログに綴りました。


私達が社交ダンスのプロとしてここにいるのは

まさしく学連での取り組みが不完全燃焼だったからです。


私と九矢先生は学連からのカップルです。

学連とは学生競技ダンス連盟の略とでも言いましょうか

大学生のダンス部から組んでいます。

九矢先生が大学3年生で私が大学1年生の時にカップルを組みました。

学連で2歳差カップルはほとんどいないと思います。

当時はカップルが組めなかったら他大学と組めるシステムも無く

同学年の男女の人数が揃わないと

組めなかった子は1歳差のカップルか

ずっと一人か部活を辞めちゃうか・・・

どれかでした。


九矢先生の1歳下の女性部員は全員リーダーがいましたので

九矢先生は2歳下の学年からパート―ナーを組むしかありませんでした。

そして私は大学1年生で入学してダンス部に勧誘されて

入部してすぐに九矢先生と組みました。

そして週6は練習してましたね。

バイトもしてました。

勉強は・・・二の次でしたが授業はサボらず出席していました。


私は高校時代体操部で

めちゃくちゃ厳しい先生と練習に耐えてきて

割と賞状をとってきましたので

頑張って成績を残したい思考は強かったと思います。


でも・・・

周りのライバルは4年生同士で組めてるなら

3年間はパートナーシップを組んで練習しているでしょうから

組んで1年半の私達では

学連の試合で準決勝にも残れず九矢先生が卒部をしてしまいました。

九矢先生は就職しました。

九矢先生が卒業したら学連では出れませんので

そのままパートナーシップを組んで

アマチュアの試合に出ていました。

そしたら徐々に成績が出てきて

九矢先生が

「そろそろ仕事も責任を任される頃で そうするとダンスをする時間が今ほど取れなくなるから・・・」

という事で

仕事をやめてダンスのプロになりました。

「良い会社だし、会社も楽しいし上手くやっていけると思うけどやっぱりダンスを仕事にしたい・・・」

と言っていたのを覚えています。


九矢先生はサラリーマン7か月でやめて

私は大学3年の冬で大学に通いながら

社交ダンスのプロになりました。


九矢先生と私が学連時代に完全燃焼していたら

良い会社で楽しく上手くやって行けてた会社だったし 

ダンサーよりも安定があるサラリーマンを選んでいたかもしれません。

あの時あのままサラリーマンだったらどんな今があるのかな・・・

とも思いますが

今はダンサーとして

その時その時の与えられた環境の中で精一杯やってこれたし

皆様に出会って支えて頂き

独立して

宝物の息子がいて

今は幸せなので

あの時 学連で不完全燃焼だったことが今につながっているので

長い目で人生を見ると何が良かったかはその時々で変わるのかな・・・と思います。

今を積み重ねて未来があるので

今を精一杯向き合って取り組んでいこうと思います。